本日は午前中お休みとさせてもらい、運動療法としてほぼ週二回通うフィットネスの検査を受ける。
今後もフィットネスを続けるにあたって適切な運動量を判定するためCPX(心肺運動負荷試験)を受けるということなので、検査というと正しくないのかも。ほぼ年一回で今回は4回目になるかな、昨年は誕生日前だったらそうだから少し時期がずれている。
ついでに先日予約しておいたインフルエンザ予防接種も。摂取直前、関連の書面に署名して日付を記入。ああ今日は11月18日であったか。母の命日でした。
今朝もちゃんと手をあわせてはいた。ちょいと失念しておった。
母は晩年、毎早朝暗いうちから、1時間半ほども市内というか周辺を歩きまわっていた。
ただただ、山歩きをするのに足が萎えることなきよう。余命が告げられる日の直前までも歩き続けておりましたね。
その頃は登山に全く興味はなかったものの、富士山や白山、大台ヶ原やったかそんなところに行ったのは聞いていた。
母の死後、叔母より白馬岳や御嶽山にも登ったことを聞かされた。今も仏前に供えているカードタイプの高山植物の図鑑は白馬岳で買ったものなのだと。
そういえば、母の意識のある姿を最後に見たのは、病室でこの図鑑を開いて叔母の語る花の話を聞き入っているときだったか。あれからもう5年かあ。
昨年8月、西穂登頂後、妹に無事帰宅したことを伝えるべく電話をした際、
「昔ね、お母さんと飛騨の方に旅行した時、穂高って名前がついたロープウェイに乗ったんよ。あれかな?」
「ええ、そうなん?そうやね、それ乗って下りてきたんやね。」
「あの時は、ロープウェイでも展望台でも天気が悪くてね、雲というか霧というか、な~んにも見えへんかったんよ。穂高が見えるはずやねけど、ってお母さんも残念そうやったなあ。」
「・・・・・」
「その後、バスで乗鞍の方にも行ったけど、やっぱりなにも見えへんかったわ。」
そんな話を聞いたのは初めて。うーん、ちょっと・・・。
昨年9月、奧穂高岳登頂時、
視線の先にある槍ヶ岳の美しさに感動しつつ、登頂できた喜びと見晴らす限りの絶景に気分は高揚、私の顔は喜色満面であったろう。
ふと、「お母ちゃん、この景色見たかったやろうなあ。」そんな想いが頭をかすめる。みるみるうちに槍の穂先が霞んで見えた。
そんなこんなと思い出してしまう。
今年は山岳会に入会し、雪山というか春山を経験、先だってはまさかの岩登りまで(齧ったってとこですが)。夏山もあちらこちらと頑張りましたもんね。北岳や槍ヶ岳にも登頂、大キレットも歩きましたし。
今の私は、山登りが面白くてしようがない。あの頃の母もきっと同じやったんやろうなあ。
今年、白山には登ったけれど、白馬岳には至らず。
母の登った跡を辿ろうってことではないけれど、来年は是非とも白馬岳と御嶽山にね。富士山にはいつか人が少なくなってからということで。
2010-11-18
11/18
投稿者 mktsan 時刻: 11/18/2010
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