春を背負って 笹本 稜平 文藝春秋 2011-05 売り上げランキング : 30660 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
法要を終え、昼間から酩酊状態にあるのを冷ますべくコーヒーをがぶ飲みしながら最終話を読了。
以前に書店でみかけ気にはなっていたものの、帯にある「奥秩父には、人生の避難小屋があるんだ。」とのコピー、プラス「疲れた心を慰める感動の山岳小説」とも記されていて、その如何にもな惹句にある種のてらいを覚え、個人的には少しばかり引いてしまい直ぐには手を出せずにいた。
ここのところ、山に行けてないことも手伝ってか、ようやくに読んでみるかとの心持ちに。
で、読了すると、やっぱり山へ行かねばね、となる。
久方ぶり、読み終えるのが惜しいと思わせる小編集でありました。
舞台は奥秩父の営業小屋。
主人公は東京の電子機器メーカーで研究職に就いていたが父の急死を契機に跡を継ぎ小屋の主となる。
そんな若主人を助けるのは、父の後輩だったというホームレスのゴロさん。
心を病んでいたり、人生に行き詰まったり、小屋を訪れる様々に事情を持った登山者らは、主人公らとの触れ合い、山での経験を元に自らの再生の契機を見出していく。
そんなお話が6編。
グッとくる言葉がいくつもあり、ページを繰る手を止めることもしばしば。
ちょいと引用を。
「人生には落とし穴がいっぱいある。だれも好きこのんでそこに落ちようとは思わないが、おれは馬鹿だから何度も嵌っちまった―」
「だけどね。その落とし前を他人につけてもらおうなんて一度も思ったことはない。自分の人生が不幸だとも思わない。雨が降ろうが風が吹こうが、自分にあてがわれた人生を死ぬまで生きてみるしかない。」
(P43)
「つまりね、人生で大事なのは、山登りと同じで、自分の二本の足でどこまで歩けるか、自分自身に問うことなんじゃないのかね。自分の足で歩いた距離だけが本物の宝になるんだよ。だから人と競争する必要はないし、勝った負けたの結果から得られるものなんて、束の間の幻にすぎないわけだ。」
「いま思えば、そもそも敵なんかいなかったような気がする。勝ち負けでしか自分の力を評価できないから、そのために自分で幻の敵をつくっていたんじゃないのかな」
(P118)
「日本人てのはなんでも右へ倣えだからな。客同士の会話でも、日本百名山のここへ登ったのあそこへ登ったのという話ばかりだ。観光地や温泉巡りの感覚で山へ来ちまうから、遭難や事故も絶えないわけだよ。」
(P106)
「周りからいくら幸福に見えても、その人が本当に幸福かどうかは本人にしかわからない。でも心の中に自分の宝物を持っている人は、周りからどう見られようと幸福なんだよ」
「幸福を測る万人共通の物差しなんてないからね。いくら容れ物が立派でも、中身がすかすかじゃどうしようもない。ところが世の中には、人から幸せそうに見られることが幸せだと勘違いしてるのが大勢いるんだよ」
「人間て、だれかのために生きようと思ったとき、本当に幸せになれるものなのかもしれないね。」
(P300)
そういえば、先月、観音岳から眺められたのが秩父方面の山々だった。来年はそちらの方へも出張っていきたいもの。
0 件のコメント:
コメントを投稿