連休初日は昼過ぎに出立、今回は松本から新島々を経由して上高地へ入ることとしてみた。
出発がゆっくりだったため、最後のバスで上高地入り、小梨平のキャンプ場へ。
幕営の申し込みを済ませ、日が暮れつつあるなか、初めてのテント設営となる。何とかかんとか、真っ暗になる前に作業は完了。
事務所に隣接する売店で買ってきたビールを飲みつつ、食事の準備を。
テント泊に備え、最近の日帰り山行では、叔母より譲り受けたストーブを持参して湯を沸かし、カップラーメンなどを食していたのだった。
若き頃よりの万年夜更かし組ではありますが、山行では別。とてもらしくはないけれど、早々に就寝。
早朝、目覚めてみれば川の流れる音が耳につく。そう、ここは上高地であった。
あの音は梓川なのかな、とテントより外を覗いてみる。
まだ薄暗く明け切らぬ中、朝靄のたなびくまにまに山々の秀麗な連なりがうかがえ、思わずニンマリ。
手前の黄色いのが私のテント。モンベルのステラリッジテント2型です。
昨晩はテントを張るうちに日が暮れ、周囲の様子を見て回る暇もなかったので、少し周囲の散策を。やはりここは別天地ですなあ、いつになく爽快な心持ちになってくる。
その後、コーヒーを飲みながら簡単に朝食を済ませ、早々にテント泊用具一式をかたづけて出立しようとするも、そこは初めてのテント泊、今ひとつ勝手がわからず、シュラフ、マット等細々したものを収め、更にテントを収納していくのにことのほか時間を要する。
涸沢を目指すべく、小梨平のキャンプ場を出立したのは7時半をすぎてから。トホホ。
上高地からの平坦な道を進み、先ずは明神に。
徳沢園までの道のりも平坦。
氷壁の宿とありますが、この混雑の様相では、かの小説のイメージとそぐわない。まあ、季節が違うけれど。
ここのキャンプ場も良さそうねぇ。
横尾に到着。
上高地からの所要時間は休憩含めて2時間5分ほど。ここからの登りでは、歩くペースはガタ落ちするだろうからと、横尾までの平坦な道程は少し早く歩くべしとした。これならばまずまずではなかったろうか。
歩き始めはさほどでもなかったザックの重みが、少々気がかりに。
屏風岩が見えてきまして、そろそろ登りというか山道らしくなってくる。
連休中なので、登り下りとも行き交う人は多く、そのペースは各人各様。譲り譲られ、左手の屏風岩を巻くようにして進んで往きます。
本谷橋に至り小休止を。
やはりザックの重みが少々苦痛になり始めてきたりするので、ここからは適度に休憩をはさみ、焦らずゆっくり進んでいくこととしよう。
ずっと登り続け、けっこう消耗してきたなあと自覚する頃、遠目にはためくものが視界に入ってくる。
この時、時計を確認してみると正午を少し過ぎたところ。
あそこがそう、あと少し?と俄然奮起しましたものの、まだ30分ほども。思った以上に長かった。
涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐に到達。
さて、いよいよ初の涸沢入り、高揚気味の気分を治めるべくここでも一休み。
涸沢ヒュッテの展望テラスを経てテント場へ進み行きますが、視線はこの場所を取りまく360度の景観に釘付け。この時ばかりは、肩にのしかかる重量も意識の外に、首をめぐらせ上方に視線を彷徨わせつつ歩んだのだったと。
ここから臨む眼前の涸沢カール、穂高連峰の連なりは想像以上の迫力でしばし圧倒されてしまう。あらためて、凄いところへ来たものだと感じ入る次第。
テン場へ続く石段に向かう手前で時刻を確認すれば、13時前。
余裕があれば北穂へ登りそこでテン泊、などとの考えもあったが、即座に吹っ飛んだ。日程の限られた山行にあって、この日これからの一時を涸沢で過ごすべき、と猛烈に思い至る。
とはいえ、肩というか体の方も慣れぬテント行での重量に悲鳴を発しているようで、今日のところはゆっくりしときましょうと。
幕営の申し込みを済ませ、やや涸沢小屋よりの場所でテントを設営。
しばし横になり休憩をば。
そういえば昼食をとっていない、今日はもう山歩きはしない、ならばもう飲んでもよかろうと涸沢ヒュッテの展望テラスへ。
混み合う中、残るおでんの品目は2種のみでしたが、椎茸をおまけしてもらったりして、おいしくいただきましたよ。
先月の時点では、西穂山荘で飲んだビールが今年一としていたものの、ここにきて更新となる。2300m越えの地で生ビールがいただけるなんて、まさに至福の一時ではあります。
この後も、あたりを散策したり、更に缶ビールを買ってきてこんな景色を肴にうっとり、などとゆるゆると過ごしておりました。
2009-09-20
涸沢へ 初テント山行
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