昨晩も早い目の就寝、なので目覚めも相応に早く外はまだ暗い。
9月後半とはいえ、やはり奥深い山中の早朝ともなれば、かなり冷え込むよう。寝袋から出て即座にフリースを着用するも物足りない感が。少しの間だけレインウェアの上部を羽織ってしのぐくこととした。
朝食を済ませ、朝日に染まりゆく穂高の山容を眺めながら飲む暖かいコーヒー(粉末だけど)は格別、万難を排して(大袈裟な)ここまで来た甲斐があったというものだ。
そんな感傷も今はさておき、ようよう明るくなりつつあるのでそろそろ登り始めますか。
今回の山行のいわばメインとなる峰を目指して。
願わくば本日も快晴でありますように。
諸々の荷物はテントに残し、水とカメラ、サングラスと中間着、行動食(アメちゃんとガムくらい)などをサブザックに詰めていざ登頂をば。
昨日とは打って変わって身軽に動けるのが嬉しい。
往路はパノラマコースを選択、
岩に記された「↑オクホ」との表示に従って雪渓の中に踏み入る。
歩み往くごと、少しずつ高度が上がって周囲の見え方も変わってきますね。
白出のコルに建つ穂高岳山荘も少しばかり鮮明になってくる。
それにしても凄い眺めだわ、と再び感じ入ってしまったり。
北穂の方に目を向けてみれば、そんな感傷の度合いは更に加速するよう。
そうか、穂高ってこんなだったのか。
途中で涸沢小屋よりのコースと合流、
さて、いよいよ岩場かな。
しばらく登ったところの岩に「↑ザイテン」とあるのを確認、
ザイテングラートに取り付きます。
このあたりで「ホタカ小ヤ20分」とあるのを確認、それならばあと一息やん。
穂高岳山荘に到着したのは8時前、登り始めたのが6時頃だから実質2時間もかかっていない。好いペースではなかろうか。
ならばと、ほんの小休止の後、早速に頂上を目指そうとするもここからの登りは既に停滞気味であるよう。はやる気持ちを抑えつつ順番の列に加わります。
鎖とハシゴが続く取り付きの岩場では混雑のため進行の度合いは遅々としている。
少し高度を稼ぐと、穂高岳山荘に隠れていた笠ヶ岳が視界に飛び込んできます。
涸沢岳も中々に良い感じやないですか。
鎖に頼らずハシゴもチャッチャッと素早く登ってゆくと、「お先にどうぞ」と譲ってくれたりするも、やはりここは「順番ですから」と遠慮しときます。
少し登っては岩に張り付いて待ち、少し登っては岩に張り付いて待ち、・・・。
そんなこんなで、急登りの岩場も尽きて、やがて奥穂の稜線に至る。
稜線の道を往きつつ振り返ってみますと、早速に槍ヶ岳の雄姿が。
おおっ、なんて美しいんだ。気分は一気に高揚。
ジャンダルムなんかも視界に入ってきたりし、はたまた相好は崩れ気味。
若干息をきらし喘ぎながらも歩を進める。
アルプス参戦1年目のビギナーなれど若くはない、無謀であったかも無理をしているのかも、そんな想いが去来しつつ、夢に見、目標としていた山域に踏み入り歩みゆくのが、楽しくて嬉しくてしょうがない。
順調に進み往き、とうとう国内第三番目の高峰、奥穂高岳頂上(3190m)に到達、嬉し。
ジャンダルムを眺め感動していると、数日前、この先で事故があったことに思い至る。
気の毒なことでありました。弔意をこめてしばし黙礼を。
本日の奥穂高岳山頂は、時節柄、中高年登山者で溢れかえっておりました。
まあ、私もそのうちの一人やけど。
眼前に広がる眺望はといえば・・・、
その素晴らしさは言葉にして例えようがなく、ただただ感慨無量。
iPhoneの壁紙用にと内蔵のカメラでパチリ。
21日午前9時過ぎ頃、奥穂高岳山頂より撮った槍ヶ岳ですが、ちょっと好いでしょ。
ジャンダルムから向こう、これまで登頂してきた西穂高岳、焼岳、乗鞍岳と続く。その先には御嶽山も見えています。
笠ヶ岳がこれまた素晴らしい。来年には何とかね登りたいものだ。
常念岳や蝶ヶ岳とかもね、来年にはなんとか。
前穂の方面は逆光になってしまって、まともな写真が撮れておりません。残念。
いつの日か、吊り尾根を辿って登頂し、そのまま上高地に下り立ってみたいものだ。
眺望は堪能したことですし、名残惜しくはあるけれどそろそろ下りていきますか。
復路は涸沢小屋に至るルートで。
こちらの道沿いにある木々はほんのりと色付きはじめ、少しばかり秋の雰囲気を感じることができます。
涸沢小屋から幾度も仰ぎ見る。ああ、名残惜しい。
11時過ぎにテン場に戻り、テントを撤収。
帰途に着くべく涸沢をあとにする。ああ、それにしても名残惜しい。
2009-09-21
奥穂高岳登頂
2009-09-20
涸沢へ 初テント山行
連休初日は昼過ぎに出立、今回は松本から新島々を経由して上高地へ入ることとしてみた。
出発がゆっくりだったため、最後のバスで上高地入り、小梨平のキャンプ場へ。
幕営の申し込みを済ませ、日が暮れつつあるなか、初めてのテント設営となる。何とかかんとか、真っ暗になる前に作業は完了。
事務所に隣接する売店で買ってきたビールを飲みつつ、食事の準備を。
テント泊に備え、最近の日帰り山行では、叔母より譲り受けたストーブを持参して湯を沸かし、カップラーメンなどを食していたのだった。
若き頃よりの万年夜更かし組ではありますが、山行では別。とてもらしくはないけれど、早々に就寝。
早朝、目覚めてみれば川の流れる音が耳につく。そう、ここは上高地であった。
あの音は梓川なのかな、とテントより外を覗いてみる。
まだ薄暗く明け切らぬ中、朝靄のたなびくまにまに山々の秀麗な連なりがうかがえ、思わずニンマリ。
手前の黄色いのが私のテント。モンベルのステラリッジテント2型です。
昨晩はテントを張るうちに日が暮れ、周囲の様子を見て回る暇もなかったので、少し周囲の散策を。やはりここは別天地ですなあ、いつになく爽快な心持ちになってくる。
その後、コーヒーを飲みながら簡単に朝食を済ませ、早々にテント泊用具一式をかたづけて出立しようとするも、そこは初めてのテント泊、今ひとつ勝手がわからず、シュラフ、マット等細々したものを収め、更にテントを収納していくのにことのほか時間を要する。
涸沢を目指すべく、小梨平のキャンプ場を出立したのは7時半をすぎてから。トホホ。
上高地からの平坦な道を進み、先ずは明神に。
徳沢園までの道のりも平坦。
氷壁の宿とありますが、この混雑の様相では、かの小説のイメージとそぐわない。まあ、季節が違うけれど。
ここのキャンプ場も良さそうねぇ。
横尾に到着。
上高地からの所要時間は休憩含めて2時間5分ほど。ここからの登りでは、歩くペースはガタ落ちするだろうからと、横尾までの平坦な道程は少し早く歩くべしとした。これならばまずまずではなかったろうか。
歩き始めはさほどでもなかったザックの重みが、少々気がかりに。
屏風岩が見えてきまして、そろそろ登りというか山道らしくなってくる。
連休中なので、登り下りとも行き交う人は多く、そのペースは各人各様。譲り譲られ、左手の屏風岩を巻くようにして進んで往きます。
本谷橋に至り小休止を。
やはりザックの重みが少々苦痛になり始めてきたりするので、ここからは適度に休憩をはさみ、焦らずゆっくり進んでいくこととしよう。
ずっと登り続け、けっこう消耗してきたなあと自覚する頃、遠目にはためくものが視界に入ってくる。
この時、時計を確認してみると正午を少し過ぎたところ。
あそこがそう、あと少し?と俄然奮起しましたものの、まだ30分ほども。思った以上に長かった。
涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐に到達。
さて、いよいよ初の涸沢入り、高揚気味の気分を治めるべくここでも一休み。
涸沢ヒュッテの展望テラスを経てテント場へ進み行きますが、視線はこの場所を取りまく360度の景観に釘付け。この時ばかりは、肩にのしかかる重量も意識の外に、首をめぐらせ上方に視線を彷徨わせつつ歩んだのだったと。
ここから臨む眼前の涸沢カール、穂高連峰の連なりは想像以上の迫力でしばし圧倒されてしまう。あらためて、凄いところへ来たものだと感じ入る次第。
テン場へ続く石段に向かう手前で時刻を確認すれば、13時前。
余裕があれば北穂へ登りそこでテン泊、などとの考えもあったが、即座に吹っ飛んだ。日程の限られた山行にあって、この日これからの一時を涸沢で過ごすべき、と猛烈に思い至る。
とはいえ、肩というか体の方も慣れぬテント行での重量に悲鳴を発しているようで、今日のところはゆっくりしときましょうと。
幕営の申し込みを済ませ、やや涸沢小屋よりの場所でテントを設営。
しばし横になり休憩をば。
そういえば昼食をとっていない、今日はもう山歩きはしない、ならばもう飲んでもよかろうと涸沢ヒュッテの展望テラスへ。
混み合う中、残るおでんの品目は2種のみでしたが、椎茸をおまけしてもらったりして、おいしくいただきましたよ。
先月の時点では、西穂山荘で飲んだビールが今年一としていたものの、ここにきて更新となる。2300m越えの地で生ビールがいただけるなんて、まさに至福の一時ではあります。
この後も、あたりを散策したり、更に缶ビールを買ってきてこんな景色を肴にうっとり、などとゆるゆると過ごしておりました。
2009-09-13
大台ヶ原 でも雨には遭遇せず
早朝5時過ぎ、先だって近鉄線に繋がった阪神電車を利用して奈良方面へ。
尼崎駅、近鉄線なんば駅を経て鶴橋駅に、大和八木、橿原神宮前と幾度も乗継ぎ、近鉄大和上市駅に着いたのは午前8時頃のこと。
駅前のバス停で待っていると、バス会社の人から「登山計画書を提出して下さい」との要請があり、簡単に書き込む。
やがてバスが到着、8:35発大台ヶ原行きバスに乗車。
一時間半以上もバスに揺られ、大台ヶ原に到着。遠い道のりではある。
先ずは、ビジターセンターを覗き、案内地図を購入。
ビジターセンター横よりの順路を進んで往きます。
そういえば、亡き母はこの場所を好んでいたようで、よく話を聞かされたものだった。
今の私は、かつて家人が想いをよせた地に立ち、おそらくは同じ景色を眺め、独自の感慨を抱きつつ、好ましいものとして受け入れている。
そんなことどもにも素直に感じ入ることができるほど年をとった、とすればそれまでだが、ただただ長くかかってしまったと、そんな気がする。
まあ、年をとるのも悪いことばかりではないのかも知れない。
樹林の道を突っ切った先は展望スペースになっていて、視界の先には伊勢湾まで見渡せるそうな。やはり遠くまで来たもんだわ。
左手に見えるのがどうやら最高峰の日出ヶ岳であるよう。そちらを目指します。
道すがらの光景。
木が倒れ、根っこの部分が剥き出しになっているのであるが、私は即座にワイアール星人を連想してしまった(同世代というか、わかる人にはわかると思うが)。
この先が日出ヶ岳山頂になるよう。
ここまではさしたる起伏もなく平坦な道のり。この登りも大したことはなくって、どうも本日の道行きは登山という感じがしない。
日出ヶ岳頂上(1694.9m)の展望台。
天候が良好であれば、富士山が見えることもあるのだと。
本日は例によって霞がかっていて、遠景は判然としていないものの、説明板に記された同方向にぼうーっと見えているのは御嶽山ではなかろうか。
正木峠、正木ヶ原と進み往きます。
私らの生まれる以前に襲った伊勢湾台風に起因する災厄で立ち枯れたという風景はもの悲しい。反面、晴天下の青空を背景にしてしまうと妙に映えてしまい、美しいとも感じてしまったり。
牛石ヶ原に至ると神武天皇象がこんにちは。八咫烏もおりますよ。
大台ヶ原といえば、この絵をよく見ます。セイロ嵓(ぐら)というのだそう。
これが日出ヶ岳やと思っとりましたですね。大蛇嵓(ぐら)というのだそう。
ここいらからも、壮大な大峰山脈が眺めやれます。
下りの道が続きまして、川に至る。そこに架かるシオカラ谷吊り橋を渡ると、なんと登りの道が。この登りは想定外であった。
少しばかりヒイハアと足を運びます。
コースを一巡しまして、ビジターセンターに。15時前のバスにて帰途に着く。
いやあ、遠かった。
大台ヶ原といえば「雨」。
年間を通して雨量が多い地域であるらしく、深田久弥著「日本百名山」の大台ヶ原山の項には、「大台ヶ原に登って雨に遭わなかったら、よほど精進のよい人と言われる。」との一文がありますが、実はこれ、私のことです。